専門は何ですか?(18年目の答え)

 

水越法律事務所は2023年12月1日で13年目を迎えます。
弁護士としては18年目です。
振り返ってみると,いろいろありました。

司法試験合格まで

司法試験合格までの道のりも平坦ではありませんでした。文字が書けなくなって,法務省に連絡し,事情を説明してパソコンでの受験について交渉し,これを機に司法試験を辞めようと思っていたら合格しました。私だけ個室で二人の試験官に見守られて試験を受けたことは忘れられません。

ちょうど,2026年から司法試験はパソコンで行うとの報道がありました。私が受験した当時,約20年後には皆パソコンで受験することになる世の中が来るとは想像もできませんでした。

独立まで

弁護士登録をした際,縁あっていわゆるサービス業として弁護士業をとらえるような新しいタイプの所属弁護士数の多い法律事務所に入所しました。

しかし,職人気質の私は,どうも違うと考え,幸運にも,弁護士を職人的にとらえる老舗事務所の先生からお声がけいただき,同事務所に移籍してお世話になることにしました。

上記事務所では,3人の個性溢れるボス弁がいて,それぞれのやり方を学ばせていただきました。

ボスたちを含め,兄弁(先輩弁護士)も優秀で,それぞれスタンスが異なり,それぞれのやり方を学ばせていただきました。

人によってやり方は様々でまさにオーダーメイドの仕事です。質も高く,しんどくはありましたが,多様な事件・人に対する対応を勉強させていただきました。

これまでの人生とは裏腹に順調な弁護士人生でしたが,好事魔多し。

もともとWPW症候群という心臓の持病があり,いつ死んでもおかしくないと言われていたのですが,重い発作が起こるようになり,手術を余儀なくされました。

この手術は死の危険もあるものでしたが,無事手術は成功したことをきっかけとして,独立を許していただき,水越法律事務所を設立しました。

水越法律事務所設立

イソ弁(勤務弁護士)時代もそうでしたが,ただただ目の前の事件を一生懸命取り組み続けました。

その結果,何とか事務所のスタートアップに成功し,事務所の門出は順調でした。

私的なできごと

もっとも,プライベートでは,水越法律事務所開設後,2ヶ月強で,父親が事故で急死してしまい,大変落ち込んだことを覚えています。

自分の分身がいなくなってしまった,今後自分はどうしたらよいのだろうか,と考えていました。

事務所を開設して,父親がはじめて事務所に来る予定にしていた前日の出来事でした。好事魔多しとはよく言ったものです。

父親は陶芸を趣味としており,事務所のカップ(今はそうでもなくなっていますが,昔は法律事務所は相談の際にコーヒーや紅茶を出していました。)は父親が作ったものを使っていました。

今では事務所に飾ってあります。

その後もいろいろと多難で,いろいろなことがありました。

弁護士としての模索

私が司法試験に合格後,弁護士になるための制度が大幅に変わり,ロースクールを経由することとなり,弁護士を取り巻く環境は著しく変わっていきました。

弁護士も市場原理に委ねるというロースクール政策の方針のとおり,職人というよりもサービス業としての側面が押し出され,私もそれを意識して取り組むようになりました。

一般的に,弁護士の地位は低下し,食べていくにも困るという事態になってきました。幸い,私は,事業を拡大していなかったため,経済的に困窮はしませんでしたが,将来に対する不安は増大しました。

弁護士も他の業種と同様になってきて,法律事務所は零細企業にすぎないといっても過言ではない状況になってきたのです。

そんな中,弁護士業という事業を続けていくには,工夫が必要になってきて,何かに特化する必要があるのではないかと考えるようになりました。

もともと高校時代は理系で数字に強いというところから,数字が重要となる証券被害に特化しようと思って取り組んだこともありました。

同じく数字や物理的な態様が問題となる交通事故に特化しようとしたこともありました。交通事故については,自分も命に関わる重い交通事故に遭っている経験があるため,被害者に寄り添いやすいというところがありました。

大量の情報を論理的に処理することに自信があったため,そのような能力が必要とされる相続の事件も積極的に取り組み,得意としていました。一番得意である相続に特化しようと考えていた時期もあります。

弁護士になる前に,プログラミングやホームページの作成をしたりしていたことから,インターネットに係る法律問題に積極的に取り組み,Googleや5CH(昔の2ch)相手に訴訟をしたり,名古屋ではかなり先駆け的なこともしました。

ただ,インターネットに係る法律問題については,法の解決の限界が大変大きい問題で,なかなか力になれないというもどかしさを感じました。

後見や破産管財人などもやり,破産管財人も,相続のような事務処理能力が必要となるので,破産管財人は大変得意にしています。

専門性を獲得すべく、インターネット上の法律相談サイトで相談に応じたりしたこともありました。意外と加害者側からの相談が多いという点が気づきでした。

と,得意げに書きましたが,要するに,何かに特化することなく,やはり目の前の時期を一生懸命やっていたにすぎませんでした。

いくら得意でも依頼がなければ実力は発揮できないところ,営業が嫌い,苦手であるという致命的弱点もありました。

弁護士を取り巻く環境は日増しに悪くなってきており,専門性を見つけることができない浮かない日々を送っていました。

営業が上手な弁護士しか生き残れないのでは?という恐怖心も生まれてきました。

 

少し業務を離れたところでは,インターネット六法を出版し,予防法務を推し進めることをしました。上記のように加害者側からの相談が多く,法律や裁判について,皆さんは思っているよりも知らない,理解していない,ということも制作の理由でした。

しかし,営業が得意ではない私には,創ることはできても,これを広めることはできませんでした。

苦手であった広報のために,NHKテレビNHKラジオへの出演,雑誌掲載等を試みましたが,やはり,水が合わず,大量の書籍が事務所に残っています。

特徴の獲得

そんな中,古くからの友人の事業のスタートアップを顧問として関わることになりました。

これまでも顧問はこれも幅広くやらせていただいており,いろいろと対応してきています。

もっとも,裁判のように明確な答えが見えるものではなく,役に立てているのだろうか,と不安になることもありました。

たまたま,いろいろなことが作用して,この件は,今まで以上に役に立っているのではないかと感じる場面が多くありました。

その中でふと,私の専門性はあれもこれもというオールラウンドな対応力なのではないかと考えるに至りました。

上記のようにいろいろなことをしており,これまでも顧問業務で特に能力を発揮していたような気がしてきました。

業務以外でも野球,ゴルフ,釣り,プログラミング,デザインとそれなりにこなすものの,どれも図抜けてはおらず,そこそこです。

生まれつき心臓が悪く,大きな交通事故に遭い,理系でありながら文系の大学に進み,司法試験に早くから受かりそうなのに受からず,一流企業に就職するも辞め,文字を書くことができなくなって,なんとかこじ開けて合格したら,心臓の手術を余儀なくされ,業務は何でもできるのに営業下手。

経験値だけは豊富です。

こういった背景をいろいろ検証してみると,この仮説は,間違っていないと確信するに至りました。

webサイトに,今まで見つけられなかった専門性?であるオールラウンドな対応力を掲示し,長年悩んでいた弁護士としての特徴を獲得することができました。

弁護士は,医師のように認定制度があるわけではなく,専門を謳うことは,誤導のおそれがあり,「弁護士等の業務広告に関する規程」第3条に違反するといわれています。なので,本来専門とは書くことはできず,特化,注力などとするのが相当であるとは思います。
これから

オールラウンドな対応力が特徴であることを意識して今後は取り組んでいこうと思います。

全力投球も特徴です。

オールラウンダーなので,事件の種類では対応業務を絞ることができません。

弁護士は過酷な仕事でもあり,何でもかんでも全力投球していたら身が持たず,結果として,依頼者に迷惑をかけてしまいます。

そのため,今後は,力になりたい,助力したいという事件・人を少し絞り,全力でオールラウンドに取り組む,という指針でいこうと考えています。

私が関わることで,何か1つでもよいから前向きなものが生まれればよいと思います。

弁護士の仕事は後ろ向きな仕事であると言われますが,たとえば,破産の場合は破産して再出発する制度ですし,離婚も同じ再出発です。損害賠償は,過去の問題を解決し,将来に進むためのものであると思っています。

弁護士の介入は,問題を解決することによって,事態を好転させるという前向きな意味も持っています。

表層部分ではお金が問題となりはするものの,決して損得の問題のみではないと考えています。

そのため,損得にこだわる方の事件はお請けできないことが多いです。

また,弁護士は,法律を適正に解釈して,紛争を解決する仕事であって,法の抜け道を探してアドバイスする仕事ではないと考えていますので,そのような目的のご依頼はお請けできません。

それなりに長くやって、弁護士は黒いものを白くする仕事ではないと断言できるようになりました。

弁護士が依頼を受けるに際し,重要なのは,依頼内容が適法・倫理に反しないものであることです。

違法なものを合法化することはできませんし,倫理に反することをしても,結局紛争は解決できません。

次に,役に立てるかどうかです。

勝てない事件の依頼を受けても,原則として役に立つことはできません。

当然勝敗は明確に予測することができるものではありませんが,敗色濃厚の場合はお役に立てない場合が多いので,その旨を伝えて検討します。

ときに勝敗を問わず闘う必要のある事件はありますが,あくまで例外です。

さらには,費用対効果が見合うことも重要です。

1万円の支払いを受けるために10万円の弁護士費用をかけるのはナンセンスです。

損得の問題ではありませんが,バランスが伴わない費用をかけてまで実現を目指す正義はそう多くはないと思います。正義の反対はまた別の正義であることも少なくありません。

おわりに

また考えが変わるかもしれませんが,恨み辛み,感情論に溢れた事件を一生懸命解決に向かう努力をする一方で,なんのためにやっているんだろう?と日々自問自答し,もやもやとしていました。

専門性にはじまり,弁護士の存在意義を深く考えるに至り,上記のような整理にたどり着き,弁護士になって初めてアイデンティティが確立したように思います。

アイデンティティは人それぞれなので他の弁護士は違った考えでしょうし,それでよいのです。

弁護士になるにも時間がかかりましたが,指針が決まるまでも18年もかかってしまいました。

このアイデンティティに共感していただける方に寄り添い、関わった方が依頼してよかったと思っていただけるよう、今後とも,全力で取り組もうと思いますのでよろしくお願い申し上げます。