はじめに
それなりに長く弁護士をやってきて,多種多様な事件を経験し,感じたことをまとめてみます。
法的なトラブルに遭遇する人には一定の特徴があると思います。
特に特徴が強くなくても,トラブルとなればその特徴が出てしまったり,今日の複雑化した社会では,必ずしも特徴的でない人でも,その傾向があればトラブルに巻き込まれてしまいます。
トラブルを避けたり,解決するには技術,ノウハウが必要です。
これまでも,トラブルの避け方やトラブルの解決策について,書籍を薦めたり,他のwebページを読むように薦めてきましたが,集大成としてまとめてみようと思います。
処世術的なところもありますので,特に若年層に読んでいただきたいです。
ギャル版はこちら。
認知のゆがみ系
青信号の認識の仕方
たとえば,青信号は厳密に言えば青ではないような気がします。緑にも見えますし,エメラルド,ターコイズ,コバルトブルーのような気がします。
ともかく,典型的な青ではありません。
しかしながら,社会通念として,これを青信号と呼びます。
トラブルの多い人は,青ではない事にこだわったりする傾向があります。
これの厄介な点は,まさにそのとおりで正論であることです。
もっとも,青信号が緑色であっても水色であっても,その役割は青信号なのです。
100人中80人以上がそのことに疑問を感じず,青信号として生活しているのです。
そうであるならば,わざわざ青信号でないと言い張っても意味はなく,青信号として認知すればよいのです。
しかしながら,これを青ではないとこだわる人は,認知がゆがんでいると言われてしまい,周囲と軋轢を生じます。
仮に青でないとこだわっても,実益が何もない点も特徴です。
宇宙人が攻めてくる
これをそのまま言う人はいませんが,宇宙人が攻めてきたららどうしよう。そんな疑問を真剣に抱く人も少なくありません。
確かに,可能性としてはあるでしょう。
しかしながら,その可能性は100人中80人以上がないとする可能性であると思います。
○○だとどうしよう。これは,新型コロナウイルス,南海トラフ大地震等最近身近なところです。
安全安心をスローガンとしてマスメディアが不安を煽ります。
それに踊らされ,可能性の乏しいリスクに振り回されている人が少なくありません。
これも認知がゆがんでいるという例の一つでしょう。
リスクとして認識しても対処法がないことも特徴でしょう。
何をするにもリスクがあり,リスクを強調すれば何もできなくなってしまうでしょう。
人は必ず死ぬのですから,極端に死を恐れても仕方ないでしょう。死より小さいリスクであれば,より仕方ないでしょう。
仮定の話をする
上記と似ていますが,大変よく見られる特徴です。
起こりもしなさそうなことを気にする人です。
不安を探すタイプとも言えます。
物事にはすべてリスクはあるでしょう。不安を探しては安心してというのを繰り返したがる傾向です。こういう人につきあっていても何も生まれません。
一部が全部
物事は多層的です。
わかりやすく自然界をみても,たとえば葉っぱは,緑一色ではありません。茶色の部分もあれば白い部分もあります。よくよく見ればすべてグラデーションになっています。
何事もそうで,犯罪者でも,そのすべてが悪いわけではありません。係争中の相手でも,良い面も沢山あります。ただ,その係争事件においては,具体的に悪い点があって係争しているだけです。
裁判はその典型で,グラデーションの一部が問題となることが多いです。わかりやすく言えば,白と黒の中間のグレーです。グレーにもいろいろなグレーがあり,その程度によって,勝ち負けが決まることになります。
自分が見ているもののみが,そのもののすべてではありません。
にも少し書いたところです。
この物事が多層的だという視点は非常に重要です。
トラブルの多い人,紛争の渦中にある人などは,この視点が欠けています。
白黒はっきりさせたいなどと言いますが,白黒はっきりしていないから問題となるのであって,物事がすべて白黒に分けられるという発想自体が認知がゆがんでいると言わざるを得ません。
これまでのものと違い,単層的な視点は,判断がしやすい,考えなくてもよい,というメリットがある点が厄介なところです。
単層的な視点でいれば楽なのでそれに流されてしまう人も少なくないと思います。
マスメディアもマス相手なので,なるべく単層的な視点で,広く伝わりやすいようにしていると思います。
それに振り回され単層的な視点が蔓延し,今日の生きにくい世の中に繋がっていることと思います。
ものさしの変化
訴訟をしていると,和解するタイミングがあります。
和解とは,たとえば,1000万円の支払い請求をしていて,500万円の支払いを受けて終わりにしないかということです。
多くは,和解により訴訟前よりも有利な地位を獲得することになります。
先の例でいえば,訴訟前の段階からすれば500万円の支払いを受けることになれば500万円のプラスです。
しかしながら,そのタイミングでは,自己に有利な主張をしており,あたかも,勝てるような外観を作り上げていることが多いです。
仮に500万円の支払いの和解の話がある場合,訴訟前を0としたものさしを捨ててしまい,今度は今時点でのものさしを新たに作って,500万円からいかに増額するかということに意識が行ってしまう人が多いです。
この発想ですと,結局のところ,いつまでたってもものさしをリセットしてしまい,どんな解決でも損したような気分になると思います。
こういう人は,「泣き寝入りですか?」という言葉を多用します。
時は戻らないというのが客観的事実であり,過去のものを取り戻そうとする時点で認知がゆがんでいると言わざるをえません。
一度決めたものさしを変えるか変えないかは他者が決める事ではなく,自分が決めることです。
それができない以上は,良いトラブル解決は迎えられないでしょう。
過剰反応
「大変なことになった」「すごい~」このような表現をする傾向にある人は,紛争が解決しない傾向にあります。
これもマスコミの影響も大きいと思います。
世間の耳目を引くような大げさな表現を日常的に浴びて自分もそのような表現をしてしまっているのです。
少しの雨でも大雨,台風が来たらかつてない大型,このような発想では物事を正確に認知することができません。
感情的
物事をとらえる際に感情的,特に悲観的になる人がいます。先の青信号の例でも,青信号は緑にも見えますし,エメラルド,ターコイズ,コバルトブルーのような気がします。捉え方によるのです。
このように物事は捉え方が様々なものであることに加え,そこに感情が入ると正確に物事をとらえることができません。
上記の過剰反応と相まって,すべてがエンターテイメント風になってしまいます。
実際の社会はエンターテイメントのように他人事ではありません。エンターテイメントのように都合よく救世主は現れませんし,エンターテイメントのように過剰に悲惨でもありません。
感情は認知を歪ませる大きな要因です。
抽象的,事実と評価が曖昧
「セクハラ」,「パワハラ」,「モラハラ」このような言葉に翻弄される人たちも危ないです。
これらの言葉はすべて事実そのものではなくて評価が入った言葉です。
定義が曖昧ですが,多くの場合は違法な行為を意味しています。
しかしながら,事実は評価とは別です。
たとえば,「お前は最低だ。人間としてありえない。」といったとすれば,他の事情からこの発言行為がパワーハラスメントとして違法となることはありえます。
しかしながら,それはケースバイケースであって重要なのは実際の言動です。
多くの人が抽象的に「セクハラをされました」,「パワハラをされました」,「モラハラをされました」と言います。
一方で,具体的な事実を聞いていくとそうでもないことも多いです。
どこかで事実に評価や感情が入ってゆがんだ事実を認知しているのです。
この原因は,物事を具体的にではなく,抽象的にとらえていることが理由だと思います。
評価と事実を分けて考える習慣をつけないと,どこまでが経験した事実なのかわからなくなります。
人の記憶は大変曖昧なものです。自己に有利に記憶が改変されることは大変よくあることです。
確証バイアス
確証バイアスとは,自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行き、そうではない情報は軽視してしまう傾向のことを指します。
このタイプは何度説明しても,自己の思い込みと違うことは認識理解することなく,自己の思い込みや願望が実現するまで執拗に執着します。
今日においては,インターネットで調べれば自己の思い込みや願望に沿う誤った情報が得られることも少なくありません。それを盲信してしまう傾向にあります。
他者との関わり方系
価値観押し付け
人それぞれ個別の価値観を持っています。
その価値感を持つこと自体は内心の自由として憲法上保障されています。
しかしながら,それを他者に押し付けることは,人権侵害です。
そのような高尚な話は置いておいて,社会の中では,この押し付けをすることで摩擦が生じることが多々あります。
自分のことに集中せず,他人のことばかり言っている人はトラブルが多いと思います。
事件でも,相手方はこうするべきである,という主張が聞かれることが日常茶飯事です。
しかしながら,法的義務があることと,他者がどのような行動をするかは別問題です。
法的義務があるのであれば,「法的には」法的義務を履行するべきであるといえますが,不履行の際には,法的なペナルティを受けることになりるにすぎません。敢えて法的なペナルティを受ける前提で法的な義務を履行しない,という選択をする自由もあります。
要するに,他人の意思や行動を縛ること自体は原則としてはできないのです。
当たり前のことですが,高齢になってもこのことに気づかない人は多数います。
支配型
上記の典型が支配型のタイプです。
他者をコントロールしようとし,こういう人の周りでは紛争が多発します。
紛争が起こっていないのであれば,それは他者が諦めて抗っていないからだと思います。
弁護士に対しても例外ではなく,依頼を受けると苦労する類型です。
が,かなりの割合で存在します。
このようなタイプに対する対処法は,毅然とした対応に尽きます。
面倒だからと支配にお付き合いするとどんどんエスカレートします。
依存型
上記の反対のタイプで,自己の考えを持たず,他者に依存します。
このタイプは,依存しつつも他者をコントロールしようとする傾向もあります。
その意味で支配型と依存型は同じようなものだと思います。
他者との関わりを強く持ちたがるタイプで,その結果トラブルを招くことが多いです。
その他
グレーゾーンを許容しない
これまでの言い換えになりますが,物事は多層的です。
社会は法律によって規律されていますが,法律の解釈も多義的です。人の行動を1から10まで規定しているわけではなく,大枠の規範が与えられているだけです。
当然,社会の進歩したがって,手当ができない部分が出てきて,グレーゾーンが発生します。
同じように,法律と無関係ないろいろな事象においてもグレーゾーンが発生します。
これらのグレーゾーンについて,「白ですか?」,「白でなければやりません」,「黒でなければやります」,「はっきりしてください」,というような発想の人が多くいますが,すべてを白黒に分けることは不可能です。
先にも述べたようにグレーにも濃淡があります。
いろいろな濃さのあるグレーの中でどう対応するかは自分で決めることです。
グレーゾーンを許容しないタイプの人は,自分で決めません。
その結果,トラブルを招きやすいのだと思います。
寛容性の欠如
これも言い換えの面がありますが,物事は多層的でグレーゾーンが多いです。
そんな中で,完璧を求めても仕方ありません。
すべてをきっちりと支配できると思うのは間違っています。
他者は必ず自分と違った価値感を持ち,自分と違った行動をとります。
そんな社会の中で,自分の価値観と違うもの,違う行動にめくじらを立てていたら,それは生きづらいものです。
寛容性が欠如している人が自由に振る舞うと,価値観を押し付けるようになり,他人をコントロールしようとするようになり,すぐにトラブルを生むことになります。
他責思考
事件の当事者の中には他責志向の人が少なくありません。
他責思考の人は常に他者の判断でトラブルが発生していると考えるので,トラブルにあい続けることになります。
このようなタイプは自分で考え行動する領域が極端に少なく,なかなか成長できないと思われます。「私は先生のように頭が良くないからわかりません」というような言葉に現れてくることがあります。
その結果,他責思考が加速し,かかる思考と親和性のある認知の仕方をするようになります。
その結果,認知はゆがんでき,負のスパイラルになると考えられます。
対処法
1 正しい認知
まず,正しく裸の事実をそのまま認識すること。評価とは分けること。
2 常識的な判断
少ない可能性ではなく,まずは一般的にどうなのか考えてみます。その判断過程で多層的であることに留意します。
3 他人は他人
他人を支配,他人に依存せず,寛容になる。
4 自己をコントロール
コントロールすべきは,他人ではなく自分です。
終わりに
これらの特徴を理解し、適切な対応を心がけることで、トラブルを未然に防ぎ、解決へと導くことができます。法律の専門家として、皆様がより良い判断を下し、安心して生活できるようサポートしていきます。
ケースによっては医療的なアプローチが必要となる場合もあろうかと思いますので,違和感があるという場合は,一度医師の診察を受けるのも一考かと存じます。