リーガルマインドを使ったライフハック

はじめに

弁護士をやっていて,司法試験を勉強していたころに学んだ多くのこと,業務を通じて培った考え方が非常に役に立つことが多いです。

これは,弁護士業にかかわらず,業務を離れて,ひとりの人間として生きるうえでも同様です。

この

  1. リーガルマインド
  2. アドラー心理学
  3. 多層的思考
  4. リスクとの付き合い方

の四本柱が,処世術,ライフハックとして優れていると考えており,時間を見つけてまとめてみたいと思います。

まずは,第1弾としてのリーガルマインドです。

リーガルマインドとは

リーガルマインドとは、一般に、「法律の実際の適用に必要とされる、柔軟、的確な判断」をいいます(池上秋彦ほか編「デジタル大辞泉」)(検索),とのことです。

いろいろな定義がありますが,ここでは,広く,法律を学び,弁護士として実務を行ってきたことによって身につけた考え方という意味で用いたいと思います。

考え方総論

役立つリーガルマインドとして,以下のものが挙げられます。

・定義/要件/効果/趣旨

・原則/例外

・必要性/許容性

・形式/実質

・客観面/主観面

・5W1H

以下,個別に見ていきます。

定義/要件/効果/趣旨

定義

まず,定義は非常に重要です。

何かを考えるとき,議論するとき,何について考えるのかが明確でないと正しい思考をすることはできません

今まさに新型コロナウイルスに翻弄されているわけですが,新型コロナウイルスについては,それが何であるのか不明確であるというところが世間の混乱の一番の要素であるように思います。

ワクチンがどうという話をしている時も,ワクチンとして何をイメージしているのかが人によって違うようです。どのワクチンについての話をしているのかさえ明確にせずに議論するので,議論は一向に深まりません。

今,何について考えているのかを殊更に意識してみると,見える世界が異なってくることがあります。

定義…何について考えるのか?

要件・効果

要件・効果についても,定義と似ているところがあります。

上記例の新型コロナウイルスについて見れば,どのような場合に感染して,感染するとどのような症状が出るのか,これが明確ではないことが混乱の大きな要素です。

これも,新型コロナウイルス関連の例示で恐縮ですが,飲食店に協力金を支払うという議論についてみても,どのような場合に幾ら出すのかという具体的なところは置き去りのまま,議論をしている風潮があります。

定義と併せて,考える対象がどのようなものか,ということを明確にすることが,合理的な思考の必要不可欠な要素であると思います。

要件・効果…考える対象がどのようなものか

原則・例外

物事は,非常に多様です。

ある一定の法則を見い出したり,ルールを定立する場合においても,その枠組みに収まらない事態は必ず発生します。

法律は,社会のルールであるところ,社会内で起こる事象は多様ですので,ほぼすべての法律の規定には例外が設けられています。

そのため,我々弁護士は,「~が原則です。」という癖がついています。

思考パターンとして,まず原則的にはどうかな,ということを考え,その後,例外にはあたらないか,例外の要件はなんだろうな,というように考えます。

似たような考え方に,場合分けもあります。

簡単な場合ですと,場合分けで対応することができますが,社会内で起こる事象は多様ですので,場合分けをしだすときりがないケースがほとんどです。

そのような場合,類型的によく見られるケースを原則として,それ以外を例外として処理する方法のほうが圧倒的に合理的です。

このあたりの考え方は,プログラミングの際にも同様かと思います。

そして,原則というのはある程度強固なものですので,例外を認める場合には,ある程度厳しい要件をクリアする必要がある,という考え方になると思います。

そうでなければ,わざわざ原則を設定する意味がなくなってしまいます。

法律以外のいろいろな選択の場面で,これって原則はどっちなんだろうか,という考え方をすると,思考が整理されます。

たとえば,みんながこう思うだろうな,でも,自分はみんなと違ってこう思うな,という場面では,原則はみんなが思う方で,例外として自分が思う方を選択する要件を満たすだろうか,という考え方になります。

原則は何?→その後例外を考える

必要性・許容性

この必要性・許容性という考え方は,なじみがないかもしれませんが,バランスをとるに際し,非常に優れた考え方です。

必要性というのは,必要かどうか,許容性というのは,許されるかどうかです。

この必要性と許容性は相関関係にあり,必要性が大きければ許容性は小さくてもよく,必要性が小さければ大きな許容性が必要になるという関係にあると思います。

法律は許容性の要素になることが多いです。

 

たとえば,コロナウイルスの関係で,飲食店について休業要請をするかどうか,という場面について考えてみます。

まずは必要性ですが,ここでは,本当に飲食店を休業させる必要があるのか,飲食店とコロナウイルスは関係するのか,コロナウイルスの感染は,食事によって起こるのかというところが検討されるべきです。

必要性があるとして,それが許されるのかという許容性のフェーズでは,協力金を支給すれば許されるのではないか,協力金がなくとも,憲法の定めに従って許されるのではないか,等々を検討することとなります。

 

この場合も,人権を制約できない,という原則からはじまって,例外として制約する場合には,必要性があるのか,許容性はあるのか,を検討するという流れです。

上記日常生活の中での例でいえば,みんなとは違う考え方をするとして,本当にそうする必要があるのか,それがあったとして,許されるものなのか,という検討をすることとなります。

そんな無理なことをする必要性はない,あるいは,必要性があったとしても,それは許されないだろうなという判断になり,原則的な処理を優先するということになることも多いと思います。

必要があるか?許されるか?

形式・実質

本音と建前という言葉がありますが,それと似て非なるものかなと思います。

物事を考えるときに,まず,形式的に見てみます。

形式判断は,考慮すべき要素が少なく,比較的簡単です。

よく形式判断をするのかと言われることがありますが,形式も整わないのに考えを進めることは危険極まりありません。正確には,形式判断のみをするな,ということだろうと思います。

法律は形式判断の要素になることも多いです。

たとえば,コロナウイルスの関係での飲食店の休業要請は,形式的には,憲法上の財産権の制約になります。

では,実質的にみたらどうだと考えると,やはり,制約になります。

そこで,原則として禁止されるわけですが,例外として認めるのか,という流れとなります。

複雑な物事を判断する時に,まず形式から考えるという癖をつけると,思考が進むため,どうしてよいかわからず立ち往生する,ということがなくなります。

形式的には?→実質的には?

客観面・主観面

これは,刑法の考え方です。

たとえば,窃盗罪は,他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし…と定められるものです。

あなたのパソコンを私が盗んだとして,まずは客観面として,窃盗罪にあたります。

次に主観面を検討します。

仮に、私が,何らかの理由で,あなたのパソコンを自分のものと誤解していたとしましょう。

そうすると,主観面としては,自分の財物を…となり,窃盗罪の構成要件(刑法の要件をこのように言います。)を満たさないこととなります。

この考え方も,非常に重要です。

人は皆,それぞれ認識の仕方が異なります。

青信号も青いと思う人もいれば,緑だという人もいます。

その認識が正しいのかどうか判断するためには,客観面が明確に定まっていなければなりません。

そのため,検討の順序は,必ず客観面→主観面という順序にします。

どんなに人が認識しているということも,客観面が存在しなければ,単なる思い込みです。

思い込みは思い込みで大切なところもあるかもしれませんが,それこそ,客観的に「思い込みである」という処理をする必要があります。

宇宙人も幽霊も客観的には明らかでないのですから,それを前提にした議論というのは,意味がないか,非常に乏しいものと言わざるを得ません。

そのあたりは明らかにせずに,思い込みのみで議論しているという場面がよく見られます。

趣味としての議論であれば良いですが,適正な判断をすべき場面での真剣な議論においては,客観面を無視しての議論は全くあり得ないものです。

客観面を重視!主観にとらわれない!

5W1H

これはリーガルマインドというよりも,法律実務上からの学びであり要請であり,というものです。

5W1HとはWho(だれが)When(いつ),Where(どこで),What(なにを),Why(なぜ)、How(どのように)という特定性に関わる考え方です。

あいつはむかつく,人でなしだ,私にいやらしいことばかりする,等と人は言いますが,それだけでは,何も伝わりません。

具体的にはどういうことですか,と聞いて,的確に説明できる人は少ないです。

酷かと思いますが,依頼者の方々には,5W1Hを意識して書き出してみてください,ということを申し上げることも多いです。

よくよく考えてみたら,特にそのようなことはなかった等と返ってくることも,少なくありません。

5W1Hを物差しとした客観面→主観面という検討の中で,多くの人は,思い込み,すなわち,主観を客観と認識してしまっていることに気付くのでしょう。

誤解を明らかにするには,5W1Hで精緻に記憶を正すことが必要です。

その結果,言っていたよりも相手方は悪くないじゃないですか,というケースもあります。

人の記憶は,全くあてにならないものです。

それは,性格が云々とかそういう事ではなく,おそらく,人間の構造上そうなっているのではないかと思います。

誤った記憶の中で,生きていくのも良いですし,そのようにした方がよい場面もあることは否定できません。

ただ,ロジカルに適正に思考する場面においては,シビアに客観を注視するべきです。

それが,良い判断に結びつき,良い結果に結びつきます。

いつも5W1H

おわりに

以上のような思考方法は,理念的なものではなく,うまく判断していくため,良い結果を導いていくために必要な道具にすぎません。

上記のような思考方法をする人が頭がよいとか優れているとかそういうことではなく,このような道具を使えばうまくいくことが多いというライフハック的なものにすぎません。

裏を返せば,世の中のトラブルに苦しんでいる方々は,このような道具を持っていないことが多いです。

教育の過程で,微分積分や組み体操に変えて,このようなライフハックを教えていけば,世の中の人々はもっと幸せになるのになと常々思います。

少しの工夫で,大きな効果,ぜひ,参考にしていただけたらと思います。

少し工夫するだけで上手くいく!
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