10th

刑事事件

刑事事件といえば,国選弁護事件というものがある。
国選弁護事件とは,刑事訴訟手続において、被疑者・被告人が貧困などの理由で私選弁護人を選任することができないときに、国がその費用で弁護人を付することによって、被疑者・被告人の権利を守ろうとする制度に基づいて選任される場合の刑事事件である。
簡単に言うと,弁護士がボランティアとして,被告人(被疑者)の権利を擁護する活動をすることである。
なお,刑事で犯罪を行ったと疑いを掛けられて刑事裁判で起訴されるのは「被告人」であって「被告」ではない。
マスメディアは頑なに「被告人」を「被告」というが完全な誤りである。
聞くところによると,字数を少なくするために「被告」と表記するようになったというが,口頭でも「被告」であり,これだけ資源に溢れた現在においても,一向に改めようとしない。
これが改善されない限り,刑事事件の関係でマスメディアには協力したくない。
民事で訴え提起された者は「被告」である。
国民には裁判を受ける権利がある結果,「被告」には誰しもがなってしまう。相当程度不当な訴えも,裁判を受ける権利が与えられる結果,許容されるのである。
マスメディアの愚行によって,単に民事裁判を提起されたにすぎない者が,刑事裁判の「被告人」のようなイメージを受けてしまうことになってしまっている。

閑話休題。

この国選弁護事件は,当職が弁護士登録したころは,老いも若きも義務として行っており,極めて日常的に行っていた。
ところが,未曾有の弁護士増員によって,いまや取り合いになっているほどである。
この是非はともかくとして,少なくとも,弁護士数が過剰であり,競争社会化していることの顕われである。
国選弁護で生計を建てる弁護士も少なくなく,その収入は,同世代のサラリーマンに遠く及ばない状況にある。

いずれにしても,当職も例外ではなく,駆け出しのころから,国選弁護事件を多数遂行していた。
なかには否認事件もあったし,外国人の事件もあったし,凶悪犯罪もあった。

その後の流れも,やはり例外ではなく,弁護士増員のもと,次第と国選弁護事件は少なくなっていった。

一方で,時折,私選弁護事件を担当させていただくようになっていった。
私選弁護事件とは,国選弁護事件以外の弁護事件であり,依頼を受けて行うものである。
配点を受ける国選弁護事件とは異なり,民事事件と同様の経路で仕事を受けることとなる。

国選弁護事件であろうが,私選弁護事件であろうが,やることは原則として変わらない。
費用は,国選弁護事件の方が著しく低廉であるが,だからといって,手を抜くわけではない。
ただ,私選弁護事件は,敢えて信頼して依頼していただいているという点でプレッシャーは大きい。
反対からいえば,国選弁護事件は,費用の面,信頼関係の面でプレッシャーが少なく自由に動くことが可能であるという点もあり,嫌いではない。

刑事事件のポイントは,1起訴されるか否か,2起訴されたとして,保釈を獲得できるか,3有罪か無罪か,4有罪だとして量刑(刑の重さ)の軽重で,刑事弁護人の腕の見せ所である。

エンターテインメント化された刑事弁護人は,ひたすら被疑者被告人を信じ,警察や検察という捜査機関と闘い,裁判官とも闘うというように描かれる。
当職も,そういった刑事弁護をしたこともあるし,その線で大いに闘う頼もしい弁護士も数多存在する。
もっとも,裁判には,ルールが有り,刑事裁判もまた同じである。
捜査機関は,最終的に刑事裁判に向かって動く。
つまり,刑事裁判でどうなるであろうか,を念頭にいれ,いや,一番の主眼として動くものである。
このことが,まず,上記1起訴されるか否かに働く。
最終的に無罪となる可能性が高いのであれば起訴はしにくい。
無罪は,やっていないということだけではない。
刑事裁判,すなわち刑事訴訟法上のルールは多岐にわたり,たとえば,
・証拠裁判主義
・疑わしきは被告人の利益に
・伝聞証拠禁止の原則
・自白法則
・自白の補強法則
・適正手続の原則
などがある。

民事裁判でもルールに従って行われる点は基本的に同様であり,真実追及など叫ばれる傾向にあるが,裁判は必ずしも真実を発見する手続ではない。
この点は,小学校なりで教育すべきであると思っている。
真実は必ずしもひとつではないこともある。

話を戻し,民事裁判でも基本的に同様であるが,刑事裁判は,刑罰を科するか否かというものであるから,より厳格であり,ロジカルな側面がある。
プログラミングのようで,理系出身の当職は,嫌いではない。

民事裁判もプログラミング的な側面があるのだが,最終的に,極めて人間的な,曖昧なところで決定される側面も有り,完全に文系の領域であるように感じる。
民事の論理性は,理系の皆さんから見れば,論理破綻のように見えると思われる。
相当因果関係という概念をよく使うが,これは,AとBの間に社会的相当性が有るか否かで判断される。

「社会的」という柔らかく得体の知れないものがでてくるのである。簡単に言えば「社会的」とは常識的であり,結局曖昧なのである。

刑事裁判にもそういう側面はあるが,民事よりはカチッとしている。

そんな刑事事件を,僅かではあるが,今もやることがある。

刑事事件は,いきなり発生し,待ってくれず,関係者は狼狽しており,いろいろと骨が折れるところがあるが,民事裁判と違う緊迫性もあり,弁護士に登録したころのことを思い出させてくれる。

そういえば,なぜ悪い人の味方をするんですか?という質問は弁護士であれば必ずされたことがある質問である。
答えは明確である。
90悪いかもしれないけど,120悪いことされないように味方が必要なんだよ,というようなことを答えるようにしている。
だからこそ国選弁護があるのである。
これは,捜査機関が悪い,ということではない。
人は立場によって,役割があり,その役割を全うしようとする結果,いきすぎてしまうことがあることが普通であるからである。良い意味での適当にやるのは難しいのである。
この観点から,弁護士も,双方代理,要するに対立する当事者の双方の代理人になることは原則として禁止されている。

と長々と刑事事件について書いてみた。

なぜかというと,否認(罪を認めていない)事件で,望外の不起訴(起訴しない,つまり刑事裁判をしない)という結果を得て,気持ちがよかったから。

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