北風と太陽

弁護士をしていて,多くの紛争を目の当たりにして,行き着いたのが,北風と太陽でした。

むかしむかしの おはなしです。
きたかぜと たいようは、いつも じまんばかり していました。

「わしの ほうが えらいんじゃ」
きたかぜが いいます。
「わたしの ほうが えらいと おもいますよ」
たいようも まけません。
「それなら、しょうぶしよう」

そこへ、たびびとが やってきました。
たびびとは ぶあつい まんとを きています。
「さきに まんとを ぬがせた ほうが かちじゃ」
きたかぜが まえに でました。

きたかぜは はげしく いきを はきました。
つめたい かぜが びゅうびゅう ふきます。
「さむい、さむい」
たびびとは、りょうてで ぎゅっと まんとを おさえました。
まんとは びくとも しませんでした。

「こんどは わたしの ばんですよ」
たいようが にこにこ わらいました。
あたりに ぎらぎら ひかりが あふれます。
すると、どうでしょう。
「あつい、あつい」
たびびとは、まんとを するりと ぬいだのです。

「この しょうぶ、わたしの かちですね」
たいようが にっこり わらうと、
あたりは ぽかぽか はるの くうきに なりました。

今でも,よく例えばなしでお話させていただきます。

他人を支配することはできないので,自発的な行動を促すのが良い,という意味で使わせていただいています。

あまりにも,これで説明できる事象が多かったので,過去の雑記のタイトルにもしていました。

馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」ということわざにもあるように,人はすべからく自由であり,自由であるべきだと思っています。

ところで,そういえばと思って北風と太陽を調べたところ,北風が勝利するというシナリオもあるという話を目にしました。
旅人の帽子を脱がせる勝負もあって,日差しを遮るために帽子をさらに深くしっかりと被ってしまう一方で,北風は帽子を吹き飛ばしたという話だといいます。

太陽もじまんばかりしていたということですので,私の思う太陽でもないかも,と思いましたが…

この話はもともとのイソップ寓話にはなく,どなたかの創作のようです。

もっとも,必ずしも太陽が勝つわけではなく,ケースバイケースであるということもまた,実務でもあることです。

私は,相手方が異常に悪質であれば,北風戦法ということもあります。
しかしながら,異常に悪質かどうかは本当はわからないはずなので,注意しながら,戦略を練っています。

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